東京フォーラム概要

第4回核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム

 

 「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」(日本国際問題研究所、広島平和研究所共催)の最終会合が1999年7月23日から25日まで、東京都内で開かれた。16カ国20人の参加者による3日間の白熱した議論の末に、報告書「核の危険に直面して――21世紀への行動計画」が採択された。
 最も注目される核削減に関する提言は、@米ロの戦略核を早急に1,000個に減らし、A英仏中を加えた5カ国で削減を行い、B印パ、イスラエルなど事実上の核保有国すべての交渉で核廃絶の「一歩手前」まで核を減らす、という内容である。
 報告書は英語版が公式文書で、約50ページ。全体は5部に分かれ、第1部「新たなる核の危険」で、核不拡散態勢の新たな危機について概観し、第2部「核の危険を提言するための戦略的関係の修復」では@米ロ中の関係改善によるグローバルな核軍縮と、A「南アジア」「中東」「北東アジア」の各地域の核軍縮について、具体策を提言した。第3部「核拡散の防止と巻き返し」では、核不拡散のための緊急対策を包括的に網羅し、第4部「核軍縮の達成」では「核兵器ゼロの一歩手前」をめざす核軍縮を提唱した。さらに第5部「主要提言」では、「広島・長崎の苦難を繰り返さないための完全かつ段階的な核廃絶」を含む17項目の提言を行った。
 会合には、前回欠席した明石康・前広島平和研究所長が復帰し、松永信雄・日本国際問題研究所副会長と共同議長を務めた。今回の議論の大半は、起草委員会が準備した報告書案の検討にあてられ、初日の午後と2日目は「中国」「中東」「南アジア」「編集」の4分科会に分かれて討議し、一部の分科会は早朝から深夜にまで及んだ。最終日に全体会議で意見をまとめ、同日夕、報告書を採択した。
 採択は全会一致をめざしたが、インドのジャスジット・シン氏は報告書案に異議を唱え、前回に続いて今回も欠席し、報告書への同意を拒んだ。また第1回から第3回まで出席した中国の銭嘉東氏も最終回に欠席し、代わって参加した胡小笛氏はいくつかの提言に留保を加えた上で同意した。
 採択直後の午後7時すぎから記者会見が行われ、松永、明石両共同議長、ロバート・オニール氏、マイケル・クレポン氏の4人が出席した。松永氏は「印パの核実験に対し、唯一の被爆国・日本で最も強い反応が起き、それが潮流となって東京フォーラムが始まった。日本に今後も核軍縮のイニシアティブを取って欲しいとの期待が表明された」と述べた。明石氏は「東京フォーラムは(1996年に核廃絶提言を行った)キャンベラ委員会を受け継ぐが、キャンベラ委員会が冷戦後の楽観的な眺望に立っていたのに対し、東京フォーラムは、米ロ中の大国関係も印パなど地域の問題も、ますます深刻化しているとの認識から、現実的な提言となった」と語った。
 キャンベラ委員会のメンバーでもあったオニール氏は「2、3年前まで核保有国は5カ国を前提としたが、今やイスラエル、印パに疑惑国の北朝鮮とイラクを加えると10カ国になる」「我々の任務は第1に国際世論の教育、第2に各国政府に緊急手段を示すことだ」と語った。報告書の起草委員長を務めたクレポン氏は広島・長崎のNGOに関し「被爆者の声は十分、我々に届いている。(核廃絶という)目標の宣言も一つの方法だが、現状はあまりに深刻なので、今の危険を分析し、緊急手段を提言した」と説明した。
 翌7月26日、明石、松永両共同議長は小渕恵三首相に報告書を手渡した。小渕首相は「できるものから実現に努力したい」と、軍縮外交に最大限生かす考えを表明した。

                 (広島平和研究所助教授 水本 和実)

*第4回核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム出席者

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